日本国内においては、シロシビンおよびそれを含むキノコは「麻薬及び向精神薬取締法」に基づき 規制薬物(麻薬)に指定されており、所持・使用・譲渡・栽培などが厳しく禁止されています。
本サイトは、サイケデリックや精神活性物質に関する最新の研究、国際的な医療動向、歴史的背景などの情報を、 教育・啓発・学術的な目的で提供しており、日本国内での使用や違法行為を推奨・助長する意図は一切ありません。
また、本サイトの内容は医療的助言を目的としたものではありません。ご自身の健康に関する判断は、 必ず医療専門家にご相談ください。
私たちが学生時代に習ってきた「ダメ、ゼッタイ」という薬物教育。この教育を推進している厚生労働省、(公財)麻薬・覚せい剤乱用防止センターは立場上、世界でどんな変化があっても、自分たちがこれまで発信してきたことを撤回はしないでしょう。

なので、世界中の情報を整理してくれるChatGPTの力を借りながら、本当の歴史、明かされることのない真実を解き明かしていきます。
ChatGPTの回答をそのまま見たい方はこちらをどうぞ。
https://chatgpt.com/share/67c474c3-52d0-8007-a329-e94b373a4e86
古代から19世紀までは世界中の民族で使われていた大麻・幻覚剤
不思議なことに、私たち人間の意識に影響を与える植物は世界中に存在してます。大麻、きのこ、ペヨーテ(サボテン)、アヤワスカ、イボガなどなど。
これらの植物は紀元前から使用されていたことが確認されており、19世紀に入るまでは、日本を含め、世界中の民族で宗教儀式や伝統医療として使われていました。
各植物の歴史を詳しく知りたい方は、こちらのChatGPTの回答をご覧ください。
こうした植物を政治的に禁止する動きが初めて出たのは19世紀のアメリカでした。
史上初めて取り締まられたのはアルコール 〜アメリカの禁酒法〜
19世紀のアメリカでは、「禁酒運動」というものが活発になっていました。

この運動は、プロテスタントを中心とした宗教団体や道徳改革を目指す人たちによって支持されていました。
当時の社会では「お酒が家庭内暴力や貧困、犯罪といった問題を引き起こしている」と考える人たちがいて、こうした問題を防ぐために禁酒が求められるようになりました。
そんな中、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ドイツやアイルランドなどから多くの移民がアメリカへやってきました。彼らは日常的にビールやウィスキーを飲んでいて、特にドイツ系移民はビールの醸造業を盛んに行っていました。これが、禁酒を推し進めようとする人たちとの大きな対立を生むことになったんです。
さらに、第一次世界大戦が勃発すると、この禁酒運動にも大きな影響が出ました。
当時、ドイツはアメリカの敵国であり、ドイツ系移民が営むビール産業も攻撃の対象になりました。戦争によって経済的な負担が増す中で、「アルコールの製造に使われる穀物を節約して、戦争のために回そう」という動きが強まり、禁酒の流れがさらに加速しました。
こうした宗教的、道徳的、民族的、そして経済的な理由が重なり、ついに1920年に「禁酒法」が施行されることになります。
しかし、アルコールの消費が社会から完全になくなることはありませんでした。
あなたがもしお酒を飲まれる方であればこう考えてみてください。もし、来年から「お酒の所持、使用は犯罪です」と法律が変わったらどう思いますか?
おそらく、こんな感情が湧いてきませんか?「お酒を飲んでも別に何も問題ないのに。。」
そして、お酒をこっそり持ってたり売ってる人がいたらこっそり分けてもらおうとしませんか?
当時のアメリカはそういう状態でした。
表向きには禁止されたものの、闇市場での流通が活発になり、結果的にギャングの全盛期を迎えることになったんです。アル・カポネをはじめとするギャングたちが勢力を拡大したのも、この禁酒法の時代でした。

禁酒法撤廃後に生まれた新たな標的
禁酒法が施行されたことで、アルコールの流通は地下に潜り、ギャングたちが勢力を拡大していきました。
そこで政府は、巨大化したギャングを取り締まるために大量のFBI職員を採用。
しかし、それでもアルコールの流通を完全に止めることはできず、結局、禁酒法は撤廃され、政府管理下でアルコールの流通を管理する形になりました。
ところが、ここで新たな問題が発生します。
「アルコールが合法になったなら、取り締まるために雇った大量のFBI職員をどうするのさ」という問題です。
政府としても「じゃあ、みんな解雇ね」と簡単に言うわけにはいきません。職員の食い扶持を確保する必要があります。
この時代の流れの中で、ある人物が大きな役割を果たすことになります。それが、ハリー・アンスリンガーです。

連邦麻薬局(Federal Bureau of Narcotics)の初代長官に就任した彼は、禁酒法が撤廃された後考えました。
新たな「敵」を作り組織の存在意義を高める必要があると。
当時、裕福な白人はタバコを吸い、メキシコ系移民や黒人の間では安く手に入るマリファナ(大麻)が使用されていました。
まだアメリカでは人種差別があった時代です。
アンスリンガーは、人種差別的な偏見を利用し、大麻の使用を犯罪と結びつけるキャンペーンを展開していきます。「これは新たな脅威だ」と宣伝することで、麻薬取締の強化を正当化しようとしたんですね。
たとえば、「大麻を吸った黒人やメキシコ系移民が白人女性に暴力を振るう」といったフェイクニュースを広め、新聞やメディアを通じて「大麻は犯罪や暴力、精神的な混乱を引き起こす危険なドラッグだ」と国民に信じ込ませたのです。

このようにして、大麻は「危険な薬物」としてのイメージが強化されていきました。
「マリファナ税法」と大麻の違法化
こうしたキャンペーンの結果、アンスリンガーの主張はメディアや政府に支持され、ついに1937年には「マリファナ税法」が成立。
これによって、事実上、大麻の使用は違法化されることになりました。
ちなみに、この時代の黒人差別や大麻取り締まりの実態については、『麻薬と人間 100年の物語』という本に詳しく書かれています。
最近では、この本の内容が映画『ザ・ユナイテッド・ステイツ vs. ビリー・ホリデイ』として映像化されているので、興味がある方はぜひチェックしてみてください。

幻覚剤の研究とヒッピー文化
第二次世界大戦が終わり、1950年代に入ると、心理学の分野では新たな研究が始まります。それが、LSDやシロシビンといった幻覚剤の研究でした。
当時の研究者たちは、これらの幻覚剤が「精神疾患の治療や意識の拡張に役立つのではないか」と考えていました。
1960年代に入ると、こうした幻覚剤はヒッピー文化やカウンターカルチャーの一部として広がり始めました。若者たちは伝統的な社会規範に反発し、精神的自由を追求する流れの中で、これらの薬物を使用するようになったのです。
1960年代のアメリカとカウンターカルチャー
1960年代は、アメリカにとって大きな変革の時代でした。
この時期、アメリカはベトナム戦争に本格的に介入し、多くの若者が徴兵制度によって戦場に送られることになりました。
これに対して、若者たちは「戦争は不正義だ」と反発し、「Make Love, Not War(愛をしよう、戦争はやめよう)」というスローガンを掲げて反戦運動を展開していきます。
この流れの中で、「自由」と「平和」を象徴するムーブメントがヒッピー文化として拡大していきました。

また、同じ時期に、アメリカではもう一つ大きな社会運動が起こっていました。それが「公民権運動」です。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアを中心に、アフリカ系アメリカ人たちは人種差別の解消と公民権の適用を求める運動を展開しました。ヒッピーたちもこの運動に共鳴し、既存の社会秩序や伝統的な権威に反発して、「平等」や「多様性」を訴えました。
さらに、戦後のアメリカでは、経済の発展とともに「物質的な豊かさ」が重視されるようになり、消費社会が進んでいきました。
しかし、多くの若者たちはこの価値観に違和感を抱き、精神的自由や自然との調和を求めるようになりました。こうした背景の中で、ヒッピー文化は「反体制的な思想」として確立されていったのです。
ニクソン大統領と「麻薬戦争」
そんなヒッピー文化と密接に結びついていたのが、大麻やLSDといった幻覚剤でした。
ところが、1969年にリチャード・ニクソンがアメリカ大統領に就任すると、状況は一変します。
ニクソン大統領は保守的な有権者の支持を得るため、ヒッピー文化やカウンターカルチャーを「社会の脅威」とみなし、徹底的に弾圧しようとしました。
特に彼にとって都合が悪かったのは、ヒッピーたちの「反戦運動」です。
なぜなら、ニクソン大統領自身がベトナム戦争を推進する立場だったからです。戦争に反対する若者たちは、彼にとって「邪魔な存在」だったわけですね。
そこで彼は、ヒッピー文化を潰すために「麻薬」をターゲットにしました。

1971年、ニクソン大統領は「麻薬戦争(War on Drugs)」を宣言。
彼は、「薬物の使用が社会を混乱させている」として、厳しい取り締まりを開始します。特にLSDや大麻は、ヒッピー文化の象徴的なアイテムだったため、徹底的に取り締まりの対象となりました。
この結果、当時アメリカの大学で進められていた幻覚剤の研究はすべて停止され、サイケデリック文化は長い「暗黒時代」に突入してしまいます。
ニクソン大統領の「麻薬戦争」以降、薬物規制は国際的に強化され、日本もそれに倣う形で厳しい薬物政策を進めるようになりました。
こうして、今のような「薬物は絶対にダメ!」という風潮が生まれたわけですが、実はその背景には科学的な判断ではなく、政治的な思惑や人種差別といった要素が大きく関わっていたんです。
ちなみに、Wikpediaにはニクソン元大統領が始めた麻薬戦争について以下のように記載されている。
ニクソンのアドバイザーであったジョン・アーリックマンは、ニクソン元大統領は黒人と反戦活動者を逮捕するために薬物取り締まりを利用したと1994年に回想している。